2016年5月28日撮影です。
「解体工事のお知らせ」が出てた「都営霞ヶ丘アパート」の様子です。
この辺は、散歩した事が多かったので、どうなるのか気になっていました。
昔懐かしい面影を残す、「都営霞ヶ丘アパート」に「解体工事のお知らせ」が出ていました。
昔ながらの団地は、都内では中々見かけないので、無くなるのが少し寂しい気もします。
現地の様子
都営霞ヶ丘アパート
明治公園のお隣の道を歩いている途中で見た様子です。
既に周りには白い囲いがしてありました。
外苑西通りの反対側から見た様子です。
霞ヶ丘団地交差点から見た様子です。
こちらも、「都営霞ヶ丘アパート」が無くなった後、交差点名が変わるのか、それとも昔の面影を残して、交差点名はそのままにしておくのか気になる所です。
横断歩道を渡って、「外苑ハウス」を見に行く途中で、「解体工事のお知らせ」を見つけちゃいました。
地図も出ていました。
数えたことは無かったのですが、10号棟まであったのですね。
以下、私の気に入った光景がここです!
何が気に入ったのかと申しますと、「外苑マーケット」という昔ながらの看板です。
この懐かしいフォントは、今だとなかなか街中で見かけないです。
1960年代に建てられた、「都営霞ヶ丘アパート」なのですが、昔は『ALWAYS 三丁目の夕日』みたいな光景だったのでしょうかね?
そして、さらに昔を遡ると、団地ができる前、こちらには兵舎があったそうです。
ノスタルジックな光景が都内でも段々と少なくなってきましたね(´・ω・`)
外苑ハウス
明治公園の反対側から撮影してきた、「外苑ハウス」の様子です。
こちらは、1964年の東京オリンピック外国報道陣向けの宿舎だったそうです。
私はその頃産まれてないので、当時の状況を知りませんが、どんな感じだったのでしょうね?
物心ついた頃から日本は不況だ不況だと言われているので、高度成長期や、バルブを経験できた方々が羨ましいかったりもします(´・ω・`)
おまけ
「外苑ハウス」の側に、こんな路地裏を見つけちゃいました。
都内にこんな長閑な道があるなんて驚きです。
ですが、私道か公道なのか分からなかったので、入りませんでした。
都内の散歩って、1歩違う道に入ると、今まで知らなかった光景を見せてくれるので、面白いですね。
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