再開発調査兵団

さよなら「バンダイナムコ未来研究所」、建築計画のお知らせが出てた64m級「(仮称)品川区東品川四丁目計画」の様子 2015年11月1日撮影

2015年11月1日撮影です。

三田で建設中の、バンダイナムコグループの新本社ビルを見ていたので、旧本社ビルの品川シーサイドにある「バンダイナムコ未来研究所」がどうなっているか見てきました。

現地には、「建築計画のお知らせ」が出ていました。
解体工事のお知らせは見逃したのか、気にも止めなかったのか、写していませんでした(^_^;)

現地の様子

現地にでていた、「建築計画のお知らせ」です。
共同住宅という名の、マンションになるんですね~

「(仮称)品川区東品川四丁目計画」 2015.11.1

青物横丁側から見た様子です。

「(仮称)品川区東品川四丁目計画」 2015.11.1

BANDAI NAMCOのロゴがまだ出ていますね。

「(仮称)品川区東品川四丁目計画」 2015.11.1

南側から見てみました。ピラミッドみたいな作りですよね。

「(仮称)品川区東品川四丁目計画」 2015.11.1

旧海岸通りから見た様子です。

「(仮称)品川区東品川四丁目計画」 2015.11.1

もう1枚。

「(仮称)品川区東品川四丁目計画」 2015.11.1

昔話

ちなみに、私はこの建物が無くなるのが、本当に嬉しい気持ちでいっぱいです。
ここがバンダイナムコ未来研究所になる前、私はこの建物で下請け(孫請け?)として働いていました。

勤務時間が、8:30~23:30という長時間労働でした。
土日も休みがありませんでした。月一回位日曜日は休めたかな?

何より辛かったのが、当時住んでた場所からここに通勤するのに電車で2時間かかった事です。
電車で2時間かかるので、家にでるのが朝の6:30、帰宅するのが朝の1:30過ぎでした。
寝るのが朝の2時半、起きるが朝の5時半という、ナポレオンみたいな生活が数ヶ月続きました。
つらくて、何度電車に飛び込もうとおもった事か・・

当時を振り返ってみると、何故そんな長時間労働だったかと言うと、思い当たる節が多々あります。

・スコープが明確でない
・仕様書がない
・仕様変更が1日に2度、3度行われる
・仕様変更が口頭で伝えられるため、メンバーが把握してない
・下請け企業が複数社集まっていて、下請け各社の仕様の認識に差異がある
・部分的に口答で伝えられた機能を作っているので、それがシステム全体の何なのかが良くわからない
・そもそも最終形がどうなるのか、わからない

こんな感じの炎上プロジェクト(通称:デスマーチ)に突っ込まれました。
賽の河原の石を積む状態で、作っても作っても、作りなおしを毎日要求されて辛かったです。

電車に飛び込もうかどうか、本当に真剣に悩みました。

「辞めればいいじゃない?」と思うかもしれませんが、当時は就職氷河期で、なかなか会社に入るのが難しかった時代です。
そして、入社後、自腹で会社のために借金までさせられていて、逃げ出せない状況でした。

人権が無い本当に酷いIT下請け会社でしたが、忍耐力だけはついたかなと感謝しています。
そして、もうその会社は辞めて、別の会社のIT社畜になっております・・(汗)

日本のIT業界は多重下請け構造で、中間業者のピンはねが現場の社員の給料の安さにつながっています。
もっと日本のエンジニアの地位が向上するといいですね。

アニメアルスラーン戦記の話ですが、奴隷を開放したナルサス(領主)が暫くたって王都に戻ると、開放した奴隷たちが戻ってきており、『寛大な主人の下に奴隷であることは、ある意味最も楽な生き方なのです』と言うシーンがあり、印象深く残っています。
日本の労働制度も色々考えさせられますね(^_^;)

IT分野の新業界団体「日本IT団体連盟」が発足し、『東京オリンピックに、四万人のITボランティアが必要だ』という発言がありましたが、企業から言わせてみれば、長時間労働で無償で働くエンジニアが欲しいんでしょうねぇ~
IT業界のサービス残業当たり前の実態とか知らないんでしょうかね?むしろ知っているからこのような発言が?(^_^;)

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データ

名称:(仮称)品川区東品川四丁目計画
住所:品川区東品川4丁目24番1号
階数:19階
高さ:59.43m(最高64.83m)
着工予定:平成29年10月2日
完了予定:平成32年3月31日
建築主:積水ハウス、長谷工コーポレーション
設計:長谷工コーポレーション
施工:長谷工コーポレーション

 
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